重なり
どうして、言いたいことを言えないような人に育ってしまったのだろう。
どうして、誰にも心を開けなくなってしまったんだろう。
どうして、人との関わりを増やすことが怖くなってしまったんだろう。
人格形成は、幼い頃の家庭環境が強く影響するということをよく耳にする。
所謂、両親が揃い、健康面、経済的な面でも不自由がない子の方が、きちんとした成長を遂げられるのが一般論。
片親だったり、親がいなかったり、貧困だったりすると、子供は道を逸れてしまいがち、というのも、上記と同様とされる一般論。
幼いながらも、私は理解していたつもり。母子家庭だけれど、私の育ち方で母が何か言われるようなことがあってはならない、という意識がすごく根強くあった。だから、私は出来る範囲で出来る限りのことを一生懸命に頑張っていた。
つもり。
それでも、やはり、周りと比べてしまうと欠けてるものだっていくつもあって。
類は友を呼ぶ、と言うけれど、私は上記のように、色々な体裁を守り抜くために必死だったが故、周りの友人はそれなりの一般家庭で、不自由なく暮らしている子ばかりだった。
勿論、彼女たちだって全てが順風満帆だったわけではないだろうけど。
私はいつも劣等感で押しつぶされそうだった。グループの中でも絶対に勉強は1番であれるように努力したし、部活でも絶対にレギュラーから外れなかった。
環境の部分はどうしようもない。それでも、そうじゃなくても私は頑張る頑張れる、負けたくないと思って、その座を守り続けた。
こんな事を言ってしまっては狡いのかもしれないけど、私が希望の進路に行けたことは一度だってなかった。いつもいつも本当の気持ちは押し殺して、誰かを、周りを、家族を優先してきた。我慢してきた。
我慢は、我慢をしているというアピールをしては、それは我慢ではない。あたかも自分が初めからそれを望んでいたかのように演じてこそが我慢。周りを傷つけないというのはそういうことだと思っている。
小さなことがたくさん重なって、私は心の奥の奥で思っている本当のことを、誰にも言うことが出来なくなってしまった。
こうやって、少しずつ文字にすることでしか。
人が、怖いです。
1人も怖いです。
こんなことを思ってるなんて周りが知ったら、また悲しんでしまう。
明日からも笑顔で生きねば。
頑張らねば。
だから今日は思いっきり泣こう。
こんな生き方しか出来ないのが情けない。
時間はあるけどお金がないのも、私のせい。きっときっと全部、私が悪いんだろうな。
愛されて育ったと思ってるんだけどな。
2018年度が来たら、生き方をきちんと見直そうと思っています。ずっと前から。
私にとって世の中は、隅々まで不条理で満ちてて、どこまでも不平等です。